もし「我々の問題」だと考えれば、その解決法は、駐車場を拡張すべし、利用制限をすべし、ということになるだろう。
もし「私の問題」だと考えれば、歩きやすい服装で少し早く家を出るようにしよう、ということになるはずだ。
解決方法は一つじゃない。見方を変えれば解決法も変わる。
また、関係者なのに問題を感じていない人がいたら、巻き込んでしまうべし、と書いている。
学長には専用の駐車スペースが用意されており、駐車場不足とは無縁であった。
学生たちはここにわざと車を停めるようにし、学長も駐車場不足問題の当事者となった。
覚えておきたい言葉
「ユーモアのセンスの無い人のために問題を解こうとするな」
ユーモアで解決できる問題というのもある。
「君の問題理解をおじゃんにする原因を三つ考えられないうちは、君はまだ問題を把握していない」
問題というのは起きてから気付くもの。問題定義には見落としが必ずある。起きる前に気付くには、普段から自分で考えていること。
「もし人々の頭の中のライトがついているなら、ちょっと思い出させてやる方がごちゃごちゃいうより有効なのだ」
『今が昼で車のライトが付いているなら、消してください。今が夜で車のライトが付いているなら、そのままで。今が昼で車のライトが消えているなら、そのままで。今が夜で車のライトが付いていないなら、付けてください。』…こんな看板誰が読む?
一言、こう書いておけばいいのだ。
『ライト、付いてますか?』
PR